「サンキチズム」(KICJ-257)
1995/7/3.4 録音. 1995/12/6発売(キングレコード/パドルホイールレーベル)

1.チキン(Alfred Ellis)
2.ベビー・トーク(James Blood Ulmer)
3.エアー・チェアー(Isao Miyoshi)
4.カンタロープ・アイランド(Herbie Hancock)
5.クラフトA-1(Isao Miyoshi)
6.ワン・フォー・“トゥーツ”(Isao Miyoshi)
7.ストーン・クロス(Isao Miyoshi)
8.エビデンス(Thelonious Monk)
9.ヒアズ・ザット・レイニー・デイ(Jimmy Van Heusen)
10.ブルース・オン・ザ・コーナー(McCoy Tyner)
11.ステラ・バイ・スターライト(Victor Young)
記念すべき僕の初リーダーアルバム。
今聴くと、もうすごく昔の事に思えるんだけど、実際はまだ4年しか経ってないんだよね。
こういう事を話すのは非常に恥ずかしいんだけど、このレコーディングの時の僕は、なんというか、その、プライベートな部分でとてもしんどかった時期でした。
まあ要するに×1になったばかりという…。話し合いのあげく、前の家は彼女がそのまま住み続けるって事でお互い了承して、僕の方が家を出たんだけどもちろん部屋はない。結局、毎日毎日ビジネスホテルを転々とする日々だったんだ。
レコーディングの始まりは、そんな生活も一週間を迎えようとしてた頃。よく覚えてるのはレコーディングの前日だけは、次の日さわやかな気分でスタジオい乗り込める様、ちょいと奮発して新宿プリンスホテルに泊まった事。(泊まってみると、別 に大した部屋じゃなかったけどね)
のっけから変な話をして申し訳ない。でも今回このライナーを書く為に、久々にジャケットを開いて中の写 真を見てビックリ!なんだか僕だけ異常に(?)晴れ晴れとした、サワヤカな顔をしているのだ。なんで?そんな時なのに?前の日も酒飲んでたのにナア。しかも演奏も妙に元気だ。なんで?
それはともかく、この初レコーディングは、村上“ポンタ”秀一氏、坂井紅介氏の強力なサポートもあり、本当にスムーズに進める事ができました。
曲ごとの解説は、CD内のライナーで僕自身が書いているので、今回はその時書ききれなかった事、思い出した事などを、僕自身もう一度CDを聴きながら書いてゆくことにします。
1「THE CHICKEN」
JBバンドで活躍したアルフレッド・エリスの名曲。
この曲、もともとはシンプルな16ビートの曲なんだけど、当日スタジオでいきなりポンタさんが「3吉、イントロのリズムパターン、7/8+8/8(つまり変拍子)でやってみたらどうだろう」と言い出して、僕も紅さんも大パニック。この頃ポンタさんは、いろんな曲を変拍子に変えるのに凝ってたようで、ライブでもしょっちゅう、いろいろなパターンにいじってました。(いちばん参ったのは、打ち上げで やった「イパネマの娘」の7拍子バージョンだったナア。歌えないって)このトリオは割とその場で、行き方変更、テンポ変更アリで、究極の現場主義バンドとしてその名を馳 せていたのですが、ご多分にもれずレコーディングの時も、各曲そんな調子で作っていたのでした。
付け加えておくと、この演奏でのポンタさんのdsソロとエンディングは、良く聴くと自分で提案したこの変拍子に、自ら足をすくわれそうになっている所があります。ポンタさんたら、もう本当におちゃめなんだから!
2「BABY TALK」
このバンドでライブをやる時には、必ず本編最後の曲として演奏されていた事を、いつも見に来てくれてたア・ナ・タはもちろんご存じですね? しかしCD化されて、僕自身が何度もプレイバックして聴いた為に、本来自由なスタイルでFreeに演奏できたこの曲が、どうしてもこのCDの演奏のイメージが自分自身の頭にすりこまれちゃって、 その後なかなか自由に演奏できなくなった気がします。
但し、このレコーディングの時は、すごく新鮮。我ながらこのトリオの真骨頂、素晴らしい出来だと思います。
“おんぼろジープに乗った3人組のハイテンションな珍道中”
3「AIR CHAIR」
かなり初期の頃に作ったオリジナル。
冒頭部分に入ってる波の音と鳥の声は、キングレコードの資料室にあった「効果 音大全集」を引っぱり出してT.D(トラック・ダウン)の時にオーバーダブしたものです。
僕としては少年時代、海辺の街に住んでたのをイメージして入れたんですが、後日ベースの佐藤慎一君に「3吉君。この鳥の声、モズでしょ?海辺にモズはおかしいよ~」とするどく指摘されてしまった。
た、確かに…。 しかし、お前は鳥博士か!でも、いたよね。妙に魚とか昆虫に詳しい男の子。
それはさておき、アルバムを作るにあたり、やっぱギタートリオを全曲エレキギターで通 すのはちょっとシンドイかな、というのは前からあったんだけど、なんとこの録音の一ヶ月前にやっとアコースティッ クギターを購入したんだ。
だから、これは僕の初のアコースティック・レコーディング。(もっと早めに買って準備しとけよ、の 声あり。無視して)それにしても、この時はまさか3年後にこの同じA.gでトゥーツとレコーディングするなんて、思いもよらなかったです。
4「CANTALOUPE ISLAND」
これも本番直前にポンタさんがリズムの変更を提案して、タンバリンとスネアドラムのオーバーダビングを入れました。
曲はもういろんな人達がカバーしてるので、よくご存知の方も多いでしょう。
最後に曲がフェイドアウトしていきながら、ラジオっぽい音に変わって次の曲につながるのは、僕のアイデアだったのですが、今考えてみると「PONTA BOX」のパクリかな?
本当はラジオの部分をもーっと長くしたかったんだけど、POPアルバムではないJAZZの世界。なかなかそこまではファーストアルバムで主張できませんでした。
5「CRAFT A-1」
僕にしては非常にめずらしい正当派(?)ビ・バップ系4ビートのオリジナル。とはいっても、このメンバーでやると、何か普通 のJAZZにはならないんだよね。
ポンタさんはサビの部分でフィリー・ジョー・ジョーンズとアート・ブレイキーを足して、微積分した様なパターンをたたいています。 (なんのこっちゃ)紅さんのベースは流石であります。以上。
6「ONE FOR“TOOTS”」
じゃ~ん。遂に出ました。「TOOTSおじいさんへの捧げ物」シリーズ第一弾。
この曲で僕は恥ずかしげもなく、初めて口笛を披露した訳ですが、今聴いてみるとやっぱ初々しいっすね。下手だけど。(それは今でも同じだろうの声あり。完全に無視して)
口笛は別に練習もしなかったし、特に意識もした事もなかったんかったんだけど、昔トゥーツさんの CDに入ってるギターホイッスル奏法を真似てやってみたら、意外に簡単に出来たんだよね。で、まあ歌 の方はジョージ・ベンソン先生が、もうスキャットとギターで随分昔からブリブリ言わせとったから、オイラは口笛にしとこうかな、と。
実はこの曲、アルバム制作の1年位前に、ベーシストの加藤真一君(さっきの鳥博士とは別 人です。念の為)のリーダー作をニューヨークで録音終了後、真ちゃん家で打ち上げやった時に、sax奏者のティムがつけてくれたタイトルだったのだ。そのレコーディング時には「口笛吹いてもいいかな?」と、おそるおそるプロデューサーのアキラ・タナ氏に申請し、キッチリ却下されたという悲しい思い出がある。
だからこの「サンキチズム」での再演は、そのリベンジでもあったのだよ。フフフフフフ。
ちなみに、出来上がったCDを別府のお袋に聴かせた時の反応「あ、この曲は聴いた事あるわ。でも、前の奴の方が良かったわね」
7「STONE CROSS」
直訳して「石」に「渡る」で「石渡」そう、僕の大好きなギタリスト石渡明広氏に捧げた曲なのだが、この頃はよくつるんで一緒にお酒を飲んでたナー。
石渡氏は普段は非常に無口でシャイな哲学肌の人なのだが、一旦お酒が入ると正にジャガーチェンジ (豹変)頭突きはするわ、かみつくわ、その洗礼を受けた人は日本全国至る所にいるであろう。しかし、最近結婚して、すっかり丸くなったとの噂(ホントかなー)近頃なかなか会えないけど、又飲みたいです。
彼は又優れたコンポーザーでもあり、その名曲の数々は彼のバンド「MULL HOUSE」や、渋谷毅オーケストラでも度々演奏されているのですが、僕もそれにあやかりたい、何か彼のように面 白い曲を作りたいと思って出来たのがこの曲でした。が、結果は「撃沈」かなあ?
8「EVIDENCE」
ここからはもう最後までずっとJAZZのスタンダード曲が続くんですね。
やはりこの頃は、まだJAZZギタリストとしての自覚もあったんだなあ。今だったら、この選曲は考え られないと思う。(でも、このCDの演奏自体は一癖もふた癖もあるんだけどネ)
この曲で変わっているのは、ドラムとの4小節ずつのかけあい部分。普通JAZZのルールでは、4小節ないしは8小節ずつのかけあいをする場合、まずソリスト(この場合は僕ね)が先に演奏し、それからドラムに渡すという順序で g→ds→g→ds… と続くんだけど、これもその場の思い付きで逆にしてみたのだ。つまり ds→g→ds→g… と。 しかしこれがアータ。見ると聞くとじゃ大違い。聞くとやるとじゃもっと大違い。体に染み込んだパターンの癖っていうのは怖いねえ。ただ逆にしただけなのに、どこ行ってるんだか分からなくなっちゃった。
つまり、かけあいもアドリブ時と同じ様に、曲のサイズ通りに進んでるんだけど、どこでサビに入ったのかとか、曲の頭はどこだとか、ちょっとボーッとしてると分かんなくなっちゃう訳。
おかげで4テイク位、取り直したような気がします。
しかし、セロニアス・モンクって変な曲作るよね。スキ!
9「HERE'S THAT RAINY DAY」
この曲はすごい昔、まだ僕が18才位の頃、よく聴いていたレコードに「MONDAY BLUES」という渡辺香津美さんのアルバムがあって、その最後にソロギターで入ってた。それがすごい好きで、いつかやりたかった曲でした。
この話してもいいのかなあー。う~ん、どうしよう。まあ、もう時効か。えいっ、話しちゃえ。
実はこの曲、紅介さんと僕のデュオでやっているんですが、ドラムの入った別バージョンがあるんです。別 バージョンと言っても、ギターとベースは同じ、つまりドラムが後からかぶせた(オーバーダブした)バージョンという事ですね。
順番に説明すると、まず紅さんと2人で録音した、と。それをミキサールームで聴いてたポ○タさん「いいじゃない、なかなか。3吉、これにちょっとドラムかぶせてみてもいい?もし気に入らなかったら使わなくってもいいからさー。ホント、ホント」じゃあお願いしますって事で、さっき録ったテイクをヘッドホンで聴きながら、ポ○タさんはドラムを入れました。まあ、こういう事はレコーディングでは、たまにある事なのです。が、結局このドラム入りのテイクはご承知の通 りボツになりました。
演奏自体は面白かったんだけど、アルバム全体のバランスとして、1曲位デュオものがあった方がいいんじゃないかという事をプロデューサーと話し合い、そう決めたんですが、後日出来上がったアルバムを聴いたポ○タさんが激怒したそうです。風の噂で聞くところによると「俺のドラム消すたあ、いい度胸じゃねーかよ、オウ。もう、こんなバンドやめたるわい」とまで言ってたらしい。激ヤバ!しかし、その後のライブで会うポ○タさんは、そんな事微塵も感じさせない、いつもの優しさで接してくれるのです。それが逆にコワイ。
もしや未だに根に持っているのかな?許して、ポ○ちゃん!
10「BLUES ON THE CORNER」
これもいわゆるJAZZ!ですな。
最初に入ってるガヤガヤ音は、同じキングレコードから出た「ジャズ・バトルロイヤル」というライブCDで、お客さんが実際にガヤガヤしてるのを取り出して、4回ほど重ねたエフェクトです。
今の僕ならもっと過激に、観客の声をフェード・インさせるだろうなあ。今聴くと、ちょっと中途半端ですね。
この曲はとにかく、ベースの紅介さんのソロと、そのうなり声が必聴です。あとポンタさんの常識破りの4ビートドラムも抜群にイイ!ずっとJAZZしかやってない人は、こういう風には絶対叩けないと思う。正に自由(フリーダム)。
11「STELLA BY STARLIGHT」
プロデューサーの中尾さんが「こんなに速い“ステラ”は聴いた事がない」なんて、レコーディングの時言ってたけど、別 にそんなに速くはないです。速さで言ったら60年代のマイルスBANDの奴の方がもっとスゴイ。
これは、このレコーディング・セッション2日間の一番最後に録音したもので、疲れやらなんやらで多少キレかけてます。ぶっ速くしたのも、そういう気分が影響したんでしょう。今はニューオリンズに住んでる、僕の大好きなギタリストの山岸潤史さんが「このステラすごいな、ええで、ぶっちぎっとるで。やりたい事、ごっつ分かるわ」とホメてくれたのが、すごく嬉しかったです。
エンディングは何故ピタッと終われたのか、未だに不思議。
以上「サンキチズム」の曲解説でした。
「STELLA BY STARLIGHT」を録り終えて、お疲れさん!した我々が、スタジオを後にしたのは午前1時頃。例によって、寝ぐらを探さなきゃいけなかった僕に、紅介さんが「家に泊まりにおいでよ」とやさしい一言。感涙にむせびながら、ふたつ返事で横浜にある紅さんの自宅へ。そこでは、すご~く優しい紅さんの奥様が、優しい手さばきで美味しいゴチソウやミント入りのテキーラソーダ割りを作って下さり、慈愛の眼差しで 僕を見つめ、優しい口調でいつまでも、いつまでも僕のバツイチになった経緯を、根ほり葉ほり聞きだしていくのだった。
こうしてレコーディングは完全に終了しました。(終了時刻、午前6時半)
1999.NOV.2
1995/7/3.4 録音. 1995/12/6発売(キングレコード/パドルホイールレーベル)

1.チキン(Alfred Ellis)
2.ベビー・トーク(James Blood Ulmer)
3.エアー・チェアー(Isao Miyoshi)
4.カンタロープ・アイランド(Herbie Hancock)
5.クラフトA-1(Isao Miyoshi)
6.ワン・フォー・“トゥーツ”(Isao Miyoshi)
7.ストーン・クロス(Isao Miyoshi)
8.エビデンス(Thelonious Monk)
9.ヒアズ・ザット・レイニー・デイ(Jimmy Van Heusen)
10.ブルース・オン・ザ・コーナー(McCoy Tyner)
11.ステラ・バイ・スターライト(Victor Young)
記念すべき僕の初リーダーアルバム。
今聴くと、もうすごく昔の事に思えるんだけど、実際はまだ4年しか経ってないんだよね。
こういう事を話すのは非常に恥ずかしいんだけど、このレコーディングの時の僕は、なんというか、その、プライベートな部分でとてもしんどかった時期でした。
まあ要するに×1になったばかりという…。話し合いのあげく、前の家は彼女がそのまま住み続けるって事でお互い了承して、僕の方が家を出たんだけどもちろん部屋はない。結局、毎日毎日ビジネスホテルを転々とする日々だったんだ。
レコーディングの始まりは、そんな生活も一週間を迎えようとしてた頃。よく覚えてるのはレコーディングの前日だけは、次の日さわやかな気分でスタジオい乗り込める様、ちょいと奮発して新宿プリンスホテルに泊まった事。(泊まってみると、別 に大した部屋じゃなかったけどね)
のっけから変な話をして申し訳ない。でも今回このライナーを書く為に、久々にジャケットを開いて中の写 真を見てビックリ!なんだか僕だけ異常に(?)晴れ晴れとした、サワヤカな顔をしているのだ。なんで?そんな時なのに?前の日も酒飲んでたのにナア。しかも演奏も妙に元気だ。なんで?
それはともかく、この初レコーディングは、村上“ポンタ”秀一氏、坂井紅介氏の強力なサポートもあり、本当にスムーズに進める事ができました。
曲ごとの解説は、CD内のライナーで僕自身が書いているので、今回はその時書ききれなかった事、思い出した事などを、僕自身もう一度CDを聴きながら書いてゆくことにします。
1「THE CHICKEN」
JBバンドで活躍したアルフレッド・エリスの名曲。
この曲、もともとはシンプルな16ビートの曲なんだけど、当日スタジオでいきなりポンタさんが「3吉、イントロのリズムパターン、7/8+8/8(つまり変拍子)でやってみたらどうだろう」と言い出して、僕も紅さんも大パニック。この頃ポンタさんは、いろんな曲を変拍子に変えるのに凝ってたようで、ライブでもしょっちゅう、いろいろなパターンにいじってました。(いちばん参ったのは、打ち上げで やった「イパネマの娘」の7拍子バージョンだったナア。歌えないって)このトリオは割とその場で、行き方変更、テンポ変更アリで、究極の現場主義バンドとしてその名を馳 せていたのですが、ご多分にもれずレコーディングの時も、各曲そんな調子で作っていたのでした。
付け加えておくと、この演奏でのポンタさんのdsソロとエンディングは、良く聴くと自分で提案したこの変拍子に、自ら足をすくわれそうになっている所があります。ポンタさんたら、もう本当におちゃめなんだから!
2「BABY TALK」
このバンドでライブをやる時には、必ず本編最後の曲として演奏されていた事を、いつも見に来てくれてたア・ナ・タはもちろんご存じですね? しかしCD化されて、僕自身が何度もプレイバックして聴いた為に、本来自由なスタイルでFreeに演奏できたこの曲が、どうしてもこのCDの演奏のイメージが自分自身の頭にすりこまれちゃって、 その後なかなか自由に演奏できなくなった気がします。
但し、このレコーディングの時は、すごく新鮮。我ながらこのトリオの真骨頂、素晴らしい出来だと思います。
“おんぼろジープに乗った3人組のハイテンションな珍道中”
3「AIR CHAIR」
かなり初期の頃に作ったオリジナル。
冒頭部分に入ってる波の音と鳥の声は、キングレコードの資料室にあった「効果 音大全集」を引っぱり出してT.D(トラック・ダウン)の時にオーバーダブしたものです。
僕としては少年時代、海辺の街に住んでたのをイメージして入れたんですが、後日ベースの佐藤慎一君に「3吉君。この鳥の声、モズでしょ?海辺にモズはおかしいよ~」とするどく指摘されてしまった。
た、確かに…。 しかし、お前は鳥博士か!でも、いたよね。妙に魚とか昆虫に詳しい男の子。
それはさておき、アルバムを作るにあたり、やっぱギタートリオを全曲エレキギターで通 すのはちょっとシンドイかな、というのは前からあったんだけど、なんとこの録音の一ヶ月前にやっとアコースティッ クギターを購入したんだ。
だから、これは僕の初のアコースティック・レコーディング。(もっと早めに買って準備しとけよ、の 声あり。無視して)それにしても、この時はまさか3年後にこの同じA.gでトゥーツとレコーディングするなんて、思いもよらなかったです。
4「CANTALOUPE ISLAND」
これも本番直前にポンタさんがリズムの変更を提案して、タンバリンとスネアドラムのオーバーダビングを入れました。
曲はもういろんな人達がカバーしてるので、よくご存知の方も多いでしょう。
最後に曲がフェイドアウトしていきながら、ラジオっぽい音に変わって次の曲につながるのは、僕のアイデアだったのですが、今考えてみると「PONTA BOX」のパクリかな?
本当はラジオの部分をもーっと長くしたかったんだけど、POPアルバムではないJAZZの世界。なかなかそこまではファーストアルバムで主張できませんでした。
5「CRAFT A-1」
僕にしては非常にめずらしい正当派(?)ビ・バップ系4ビートのオリジナル。とはいっても、このメンバーでやると、何か普通 のJAZZにはならないんだよね。
ポンタさんはサビの部分でフィリー・ジョー・ジョーンズとアート・ブレイキーを足して、微積分した様なパターンをたたいています。 (なんのこっちゃ)紅さんのベースは流石であります。以上。
6「ONE FOR“TOOTS”」
じゃ~ん。遂に出ました。「TOOTSおじいさんへの捧げ物」シリーズ第一弾。
この曲で僕は恥ずかしげもなく、初めて口笛を披露した訳ですが、今聴いてみるとやっぱ初々しいっすね。下手だけど。(それは今でも同じだろうの声あり。完全に無視して)
口笛は別に練習もしなかったし、特に意識もした事もなかったんかったんだけど、昔トゥーツさんの CDに入ってるギターホイッスル奏法を真似てやってみたら、意外に簡単に出来たんだよね。で、まあ歌 の方はジョージ・ベンソン先生が、もうスキャットとギターで随分昔からブリブリ言わせとったから、オイラは口笛にしとこうかな、と。
実はこの曲、アルバム制作の1年位前に、ベーシストの加藤真一君(さっきの鳥博士とは別 人です。念の為)のリーダー作をニューヨークで録音終了後、真ちゃん家で打ち上げやった時に、sax奏者のティムがつけてくれたタイトルだったのだ。そのレコーディング時には「口笛吹いてもいいかな?」と、おそるおそるプロデューサーのアキラ・タナ氏に申請し、キッチリ却下されたという悲しい思い出がある。
だからこの「サンキチズム」での再演は、そのリベンジでもあったのだよ。フフフフフフ。
ちなみに、出来上がったCDを別府のお袋に聴かせた時の反応「あ、この曲は聴いた事あるわ。でも、前の奴の方が良かったわね」
7「STONE CROSS」
直訳して「石」に「渡る」で「石渡」そう、僕の大好きなギタリスト石渡明広氏に捧げた曲なのだが、この頃はよくつるんで一緒にお酒を飲んでたナー。
石渡氏は普段は非常に無口でシャイな哲学肌の人なのだが、一旦お酒が入ると正にジャガーチェンジ (豹変)頭突きはするわ、かみつくわ、その洗礼を受けた人は日本全国至る所にいるであろう。しかし、最近結婚して、すっかり丸くなったとの噂(ホントかなー)近頃なかなか会えないけど、又飲みたいです。
彼は又優れたコンポーザーでもあり、その名曲の数々は彼のバンド「MULL HOUSE」や、渋谷毅オーケストラでも度々演奏されているのですが、僕もそれにあやかりたい、何か彼のように面 白い曲を作りたいと思って出来たのがこの曲でした。が、結果は「撃沈」かなあ?
8「EVIDENCE」
ここからはもう最後までずっとJAZZのスタンダード曲が続くんですね。
やはりこの頃は、まだJAZZギタリストとしての自覚もあったんだなあ。今だったら、この選曲は考え られないと思う。(でも、このCDの演奏自体は一癖もふた癖もあるんだけどネ)
この曲で変わっているのは、ドラムとの4小節ずつのかけあい部分。普通JAZZのルールでは、4小節ないしは8小節ずつのかけあいをする場合、まずソリスト(この場合は僕ね)が先に演奏し、それからドラムに渡すという順序で g→ds→g→ds… と続くんだけど、これもその場の思い付きで逆にしてみたのだ。つまり ds→g→ds→g… と。 しかしこれがアータ。見ると聞くとじゃ大違い。聞くとやるとじゃもっと大違い。体に染み込んだパターンの癖っていうのは怖いねえ。ただ逆にしただけなのに、どこ行ってるんだか分からなくなっちゃった。
つまり、かけあいもアドリブ時と同じ様に、曲のサイズ通りに進んでるんだけど、どこでサビに入ったのかとか、曲の頭はどこだとか、ちょっとボーッとしてると分かんなくなっちゃう訳。
おかげで4テイク位、取り直したような気がします。
しかし、セロニアス・モンクって変な曲作るよね。スキ!
9「HERE'S THAT RAINY DAY」
この曲はすごい昔、まだ僕が18才位の頃、よく聴いていたレコードに「MONDAY BLUES」という渡辺香津美さんのアルバムがあって、その最後にソロギターで入ってた。それがすごい好きで、いつかやりたかった曲でした。
この話してもいいのかなあー。う~ん、どうしよう。まあ、もう時効か。えいっ、話しちゃえ。
実はこの曲、紅介さんと僕のデュオでやっているんですが、ドラムの入った別バージョンがあるんです。別 バージョンと言っても、ギターとベースは同じ、つまりドラムが後からかぶせた(オーバーダブした)バージョンという事ですね。
順番に説明すると、まず紅さんと2人で録音した、と。それをミキサールームで聴いてたポ○タさん「いいじゃない、なかなか。3吉、これにちょっとドラムかぶせてみてもいい?もし気に入らなかったら使わなくってもいいからさー。ホント、ホント」じゃあお願いしますって事で、さっき録ったテイクをヘッドホンで聴きながら、ポ○タさんはドラムを入れました。まあ、こういう事はレコーディングでは、たまにある事なのです。が、結局このドラム入りのテイクはご承知の通 りボツになりました。
演奏自体は面白かったんだけど、アルバム全体のバランスとして、1曲位デュオものがあった方がいいんじゃないかという事をプロデューサーと話し合い、そう決めたんですが、後日出来上がったアルバムを聴いたポ○タさんが激怒したそうです。風の噂で聞くところによると「俺のドラム消すたあ、いい度胸じゃねーかよ、オウ。もう、こんなバンドやめたるわい」とまで言ってたらしい。激ヤバ!しかし、その後のライブで会うポ○タさんは、そんな事微塵も感じさせない、いつもの優しさで接してくれるのです。それが逆にコワイ。
もしや未だに根に持っているのかな?許して、ポ○ちゃん!
10「BLUES ON THE CORNER」
これもいわゆるJAZZ!ですな。
最初に入ってるガヤガヤ音は、同じキングレコードから出た「ジャズ・バトルロイヤル」というライブCDで、お客さんが実際にガヤガヤしてるのを取り出して、4回ほど重ねたエフェクトです。
今の僕ならもっと過激に、観客の声をフェード・インさせるだろうなあ。今聴くと、ちょっと中途半端ですね。
この曲はとにかく、ベースの紅介さんのソロと、そのうなり声が必聴です。あとポンタさんの常識破りの4ビートドラムも抜群にイイ!ずっとJAZZしかやってない人は、こういう風には絶対叩けないと思う。正に自由(フリーダム)。
11「STELLA BY STARLIGHT」
プロデューサーの中尾さんが「こんなに速い“ステラ”は聴いた事がない」なんて、レコーディングの時言ってたけど、別 にそんなに速くはないです。速さで言ったら60年代のマイルスBANDの奴の方がもっとスゴイ。
これは、このレコーディング・セッション2日間の一番最後に録音したもので、疲れやらなんやらで多少キレかけてます。ぶっ速くしたのも、そういう気分が影響したんでしょう。今はニューオリンズに住んでる、僕の大好きなギタリストの山岸潤史さんが「このステラすごいな、ええで、ぶっちぎっとるで。やりたい事、ごっつ分かるわ」とホメてくれたのが、すごく嬉しかったです。
エンディングは何故ピタッと終われたのか、未だに不思議。
以上「サンキチズム」の曲解説でした。
「STELLA BY STARLIGHT」を録り終えて、お疲れさん!した我々が、スタジオを後にしたのは午前1時頃。例によって、寝ぐらを探さなきゃいけなかった僕に、紅介さんが「家に泊まりにおいでよ」とやさしい一言。感涙にむせびながら、ふたつ返事で横浜にある紅さんの自宅へ。そこでは、すご~く優しい紅さんの奥様が、優しい手さばきで美味しいゴチソウやミント入りのテキーラソーダ割りを作って下さり、慈愛の眼差しで 僕を見つめ、優しい口調でいつまでも、いつまでも僕のバツイチになった経緯を、根ほり葉ほり聞きだしていくのだった。
こうしてレコーディングは完全に終了しました。(終了時刻、午前6時半)
1999.NOV.2