[御挨拶]
人間、年を取ると色々な物が手元にたまって参ります。小物、雑誌、手紙、写真・・・。そう、写真!楽しい写真、恥ずかしい写真、情けない写真など等。御多分にもれず我が家にもいつの間にやらボーダイな写真が集まって来ます。ある時からワタクシ、そのあまりの量の多さに、これを整理するのをいつしか諦め、一度見た写真はそのまま「専用写真冬眠箱」(段ボール)へと直行。そしてそれはこの十数年間、続いておったのであります。が!しかし!これではイカン!!そろそろこのたまりにたまった写真の束、整理せねば、と先日、一念発起、開かずの「冬眠箱」に手を付けてしまったんですネー。そしたら、いやいや、イヤイヤこれが面白いんだ~~!思わず時間を忘れて写真の一枚一枚に見入る事数時間(でも、みんなにもこーゆー事ってあるでしょ?)。そんな訳で今回3吉、恥もかえり見ず、自らピックアップした非常に個人的な、だけど、だからこそ懐かしい写真の数々をこのHPに載せる事にしました。とはいえ、まだまだ段ボールの中身は10分の1もチェックしていませんので、今の所、撮った時期等かなりバラバラで離れていたりするのですが、これから追々ピックアップした物を時代順に並べて、この超個人史的な写真館を完成させて行きたいと思います!
そんな訳で先ずは第一弾、こんなん出ました~~~(笑)笑いつつも、皆さんにもあった、あの頃、あの時、あの時代の『匂い』を写真を通して少しでも感じて頂ければ幸いです。とにかく見てやって下さい(笑)
2003/4/17 三好“3吉”功郎
これは古いっ!!'81年頃、まだ九州で「サウス・スリッカーズ」というアマチュアBAND活動をしていた頃のシヨット。
今はもう無くなった博多「80's FACTORY」というライブハウスでライブ終了後、地元のファンの子達とパチリ。今ではまずお目にかかれない白のトレーナーに白いジーンズ。これも時代です、、、。
ちなみに右端のイカツい兄さんがリーダーでボーカルの富永さん。僕の右側はキーボードの前崎君。ちなみにここには写っていませんが、このバンドには今も東京で活躍中のドラマー・外山明君、ギターに昨年の矢沢さんツアーで一緒だった為山五朗君が在籍してました。自分でゆーのも何だが、豪華なメンバーだったっす。
'83年4月上京後すぐに新宿ピットインにウェイターとして潜り込みに成功。この写真はそれから3ヶ月後、記念すべきピットインデビュー時の写真!とはいえこの時は今泉裕(sax)さんのクインテットに飛び入りで1曲入っただけだったのですが。この頃の愛器はアイバニーズGB20。懐かしいです。
多分'85~6年頃かな、ピットイン朝の部(昼の12時から演奏していた!)の常連出演者になりはじめた頃の1ショット。(この頃は常時7~8つくらいのバンドに入ってたんだよね。)このバンドは五十嵐一生(tp)BANDですな。ベースは上村君(ガッちゃん)、キーボードはまだ芸大の学生だった塩谷哲(SALT)君。この頃から、ギターはフェンダー・テレキャスター(黒)に変わっております。ちなみにこの頃の朝の部のライブチャージは¥500(1ドリンク付き)安いっ!!
'85年4月、2年間務めたピットインを円満退社するにあたり、従業員有志が開いてくれた送別会での1コマ。右端に当時の名物マネージャー怪物さん(龍野治徳氏)の顔が見えます。この頃の思い出は数多くありすぎて本格的にプロのギタリストとしてのスタート地点に立とうとする3吉君の瞳は希望に燃えておりました(ホンマかいなー)。
'88~9年頃かな。自分のバンドでの勇姿(於:新宿ピットイン)。後ろにマーシャルのアンプがあるのが気になります。ドラムは多分、佐野康夫君だと思うな。ボーダーシャツにマイク・スターンの影響が垣間見てとれます。
したたる汗!この頃から汗っかきでした。
どりゃー!!何だかわかんないけどイッてます。
'94年梅津和時(as)さん率いる「シャクシャイン」での九州ツアーの1コマ。(4枚とも、於:大分ブリックブロック)なぜが板前さんみたいな髪型になってます。後ろにヤヒロトモヒロ(Per)や新井田さん(Dr)の姿も見えます。ようやくギターもバリーアーツのストラトタイプ(現在使っているモノとは違う)になりました。
これも同じ日の1コマ。僕がギターを弾いてる所を見ると、多分梅津さんのメンバー紹介中だと思いますが、もしかしたら歌
っていたのかも。とにかくこの頃のシャクシャイン、何が飛び出すか分からず、やってる僕らも理屈抜きにおもしろかった!
!ちなみに「シャクシャイン」をワープロで変換すると「酌社員」と出ます(笑)
ブローする梅津さん。熱いっス!
手前に今堀恒雄君(G)が居ます。最近の彼は井上陽水さんBANDのギタリスト兼アレンジャーや、アニメ「はじめの一歩」の音楽監督など八面六ぴの大活躍です。僕が日本で本当に心から尊敬するギタリストの一人。ちなみにベースは水野正敏さんです。
'97年2月、シャクシャイン解散後、梅津和時グループの一員として、アジア各国を1ヶ月間、ツアー。これはインドネシアの首都、ジャカルタのコンサートホール前でのスナップ。左から新井田さん、立花さん(B)、梅津さん、太田君(Vl)、僕。この後、地元のラジオに生出演した僕は、DJの流暢な英語にまるでついて行けず、「マイク・スターン」の事を、ずっと「マイク・スタンド」と聞き違えていて、チンプンカンプンな会話を繰り広げた。前年ニューヨークでマイクと共に加藤真一君(B)のレコーディングに参加した話を、DJの方は聴きたかったみたいなのにぃー。グスン、、、。
ミャンマーの首都、ヤンゴンでのライブショット。メンバー全員、ミャンマーの民族衣裳を着ております。下は布を一枚巻いただけの、いわゆるスカートみたいなモノでした。服装でプレイが変わる事を知った一日でした。アコギのスタンドが無くて、ギターケースを堂々とステージに出している所がナイス!
ミャンマーでのライブ終了後、メンバー一同とハイ、パチリ。太田君はフィリピンからの参加なのでここには居ませんでした。
ラオス・ビエンチャンにて。ラオス大使公邸に夕食に招かれた時の一コマ。夕食が出来るまでガーデンでくつろぐ僕と新井田さん。実は目の前には、雄大なるメコン川が横たわり、正にそこに今、夕日が沈まんとしているトコロだったのだ!その夕陽があまりに素晴らしすぎて、僕らは翌日もメンバー全員で押しかけて、「東洋一のこの夕陽」(大使談)を見てしまった。(
単に夕食、たかりに来た、とのウワサも有り)
バリ・デンパサールの会場近くで、もの思いにふけながらギターをつま弾く3吉。
と思ったら、エッチラ・ホッチラ、、。
いやー、やっぱ野外で弾くギターは最高だね~!(あのぉ、、線つながってないし、アンプもないんで音、聴こえないんですけど・・・。)
もひとつオマケに、イェーッ!いまもって、何でこんな写真撮ったのか分かんないんだけど、1ヶ月のアジアツアーでかなりハイになってた事は間違いないっす。後ろに見えるのが何と、当日のコンサート会場!素敵でしょー!?
バリ・デンパサールで1ヶ月間に渡るアジア・ツアーも無事終了!メンバー・スタッフと共に記念写真。左端にはこのツアーのプロデューサーでもあり現在も「エイジアン・ファンタジー・オーケストラ」の総合プロデューサーとして活躍中の、ドン・本村氏の姿が見えまする。
'99年秋、青山スパイラルホールで行なわれた「ASIAN FANTASY'99」。いつものオーケストラと違い、日替わりのメニューで様々なアジアの音楽絵巻を繰り広げた5日間。僕は最終日「AUTUMN FESTA」と称したライブに参加。写真は、その時のリーダー、フィリピンのジョイ・アラヤ氏とライブ終了直後、楽屋にて感激の2ショット。
'00年4月、日比谷野音にて行なわれた「ブルースに乾杯 Vo.1」に出演した折の一コマ。ここはバックステージ、高円寺のライブハウス「JIROKICHI」のスタッフが全員かり出されて働いておりました。無事ライブも終了、スタッフみんなと「イェーイ、お疲れさーん!」
何やらワオさん(JIROKICHIの名エンジニア)にギター談義している3吉君。ちなみにこの日僕が一緒にやったメンバーは、塩次伸二(G)、ジョニー吉長(Dr)、ポール・ジャクソン(B)、ミッキー吉野(Kb)、甲本ヒロト(Vo)、内藤やす子(Vo)etc(敬称略)。なんかメチャクチャやーん!!何やったか全然覚えてません、、、。
'00年7月、JIROKICHIスタッフのみんなと一緒に久米島へ3泊4日のバカンス。昼は海で遊び、夜はバーベキューやって泡盛を頂く・・・夢のような日々でした。写真は朝(日中は37℃くらいあってメチャ暑い久米島も朝の一時だけは海から吹く風が涼しくてキモチいいのだ。)二日酔いなんだけど妙にスガスガしい気分で、JIROKICHIの女性スタッフ、ミヤちゃん&ユキちゃんと談笑しているトコ。左にいるシーサーがカワイイっす。
小舟に乗り、小さな島(小浜?)に渡り、みんなで海に潜り、きれいな貝殻を競って拾う。疲れたら浜にあがり、よく冷えたオリオンビールをぐびり。真ん中にはJIROKICHIのオーナー&ディジュリドゥーの奏者の荒井さん(ABO)の姿が見えます。
久米島の夏祭りに急きょ参加する事になり、特設ステージで荒井さん、正木五郎(Dr)ちゃんとトリオで演奏。僕のギターはJIROKICHIスタッフのタカ君に借りたゾウさんギター。アンプはTESCOだったかナ?
海を眺めながら、持参のCDウォークマンを聴く。恥ずかしながら「パイナップル・アイランド」も聴いたのだが、風景に仲々あってたヨ!あとはボサノバとか色々聴いてました。この島に住む事を一瞬本当に考えはじめた頃。
3日目の朝、近くの漁港に遊びに行く。な、なんとこの後、僕の足下にあるマグロ5~6尾「全部、もってけー」との漁師さんの一言でみんなタダでもらっちゃったのだ!!タカ君がヒーヒー言いながらさばいてくれて、刺身や焼き魚でみんな頂きました。旨かったー!!
地元のお祭りのフィナーレ。エイサー隊と共に。後ろの方に、なんか変なおじさんが踊ってますね。
'01年、毎年恒例となった、ワタクシのバースディライブin JIROKICHI。これは、その打ち上げも佳境に入った午前3時頃。完全に酔っぱらった僕と小野塚晃(Kb)君に挟まれてちょっと辛そうなのはベースの須藤満君。(その証拠に二人はグラス持ってる)ちなみに向こう側にいるのは楠瀬誠志郎(Vo)氏のマネージャー、キムキム氏。
「すんませーん、お先に帰りまーす(須藤)」席を立った須藤選手を小野塚選手がしがみついて止める、の図。僕も立って止めようとしてるみたいだけど、なんか3人でしばらくこうやって踊って(?)いたそうです(笑)。この後、ストちゃんが、また座らされたのはゆーまでもありません。
※掲載の写真等に関しましては、無断転載お断り申し上げます
人間、年を取ると色々な物が手元にたまって参ります。小物、雑誌、手紙、写真・・・。そう、写真!楽しい写真、恥ずかしい写真、情けない写真など等。御多分にもれず我が家にもいつの間にやらボーダイな写真が集まって来ます。ある時からワタクシ、そのあまりの量の多さに、これを整理するのをいつしか諦め、一度見た写真はそのまま「専用写真冬眠箱」(段ボール)へと直行。そしてそれはこの十数年間、続いておったのであります。が!しかし!これではイカン!!そろそろこのたまりにたまった写真の束、整理せねば、と先日、一念発起、開かずの「冬眠箱」に手を付けてしまったんですネー。そしたら、いやいや、イヤイヤこれが面白いんだ~~!思わず時間を忘れて写真の一枚一枚に見入る事数時間(でも、みんなにもこーゆー事ってあるでしょ?)。そんな訳で今回3吉、恥もかえり見ず、自らピックアップした非常に個人的な、だけど、だからこそ懐かしい写真の数々をこのHPに載せる事にしました。とはいえ、まだまだ段ボールの中身は10分の1もチェックしていませんので、今の所、撮った時期等かなりバラバラで離れていたりするのですが、これから追々ピックアップした物を時代順に並べて、この超個人史的な写真館を完成させて行きたいと思います!
そんな訳で先ずは第一弾、こんなん出ました~~~(笑)笑いつつも、皆さんにもあった、あの頃、あの時、あの時代の『匂い』を写真を通して少しでも感じて頂ければ幸いです。とにかく見てやって下さい(笑)
2003/4/17 三好“3吉”功郎
これは古いっ!!'81年頃、まだ九州で「サウス・スリッカーズ」というアマチュアBAND活動をしていた頃のシヨット。
今はもう無くなった博多「80's FACTORY」というライブハウスでライブ終了後、地元のファンの子達とパチリ。今ではまずお目にかかれない白のトレーナーに白いジーンズ。これも時代です、、、。
ちなみに右端のイカツい兄さんがリーダーでボーカルの富永さん。僕の右側はキーボードの前崎君。ちなみにここには写っていませんが、このバンドには今も東京で活躍中のドラマー・外山明君、ギターに昨年の矢沢さんツアーで一緒だった為山五朗君が在籍してました。自分でゆーのも何だが、豪華なメンバーだったっす。
'83年4月上京後すぐに新宿ピットインにウェイターとして潜り込みに成功。この写真はそれから3ヶ月後、記念すべきピットインデビュー時の写真!とはいえこの時は今泉裕(sax)さんのクインテットに飛び入りで1曲入っただけだったのですが。この頃の愛器はアイバニーズGB20。懐かしいです。
多分'85~6年頃かな、ピットイン朝の部(昼の12時から演奏していた!)の常連出演者になりはじめた頃の1ショット。(この頃は常時7~8つくらいのバンドに入ってたんだよね。)このバンドは五十嵐一生(tp)BANDですな。ベースは上村君(ガッちゃん)、キーボードはまだ芸大の学生だった塩谷哲(SALT)君。この頃から、ギターはフェンダー・テレキャスター(黒)に変わっております。ちなみにこの頃の朝の部のライブチャージは¥500(1ドリンク付き)安いっ!!
'85年4月、2年間務めたピットインを円満退社するにあたり、従業員有志が開いてくれた送別会での1コマ。右端に当時の名物マネージャー怪物さん(龍野治徳氏)の顔が見えます。この頃の思い出は数多くありすぎて本格的にプロのギタリストとしてのスタート地点に立とうとする3吉君の瞳は希望に燃えておりました(ホンマかいなー)。
'88~9年頃かな。自分のバンドでの勇姿(於:新宿ピットイン)。後ろにマーシャルのアンプがあるのが気になります。ドラムは多分、佐野康夫君だと思うな。ボーダーシャツにマイク・スターンの影響が垣間見てとれます。
したたる汗!この頃から汗っかきでした。
どりゃー!!何だかわかんないけどイッてます。
'94年梅津和時(as)さん率いる「シャクシャイン」での九州ツアーの1コマ。(4枚とも、於:大分ブリックブロック)なぜが板前さんみたいな髪型になってます。後ろにヤヒロトモヒロ(Per)や新井田さん(Dr)の姿も見えます。ようやくギターもバリーアーツのストラトタイプ(現在使っているモノとは違う)になりました。
これも同じ日の1コマ。僕がギターを弾いてる所を見ると、多分梅津さんのメンバー紹介中だと思いますが、もしかしたら歌
っていたのかも。とにかくこの頃のシャクシャイン、何が飛び出すか分からず、やってる僕らも理屈抜きにおもしろかった!
!ちなみに「シャクシャイン」をワープロで変換すると「酌社員」と出ます(笑)
ブローする梅津さん。熱いっス!
手前に今堀恒雄君(G)が居ます。最近の彼は井上陽水さんBANDのギタリスト兼アレンジャーや、アニメ「はじめの一歩」の音楽監督など八面六ぴの大活躍です。僕が日本で本当に心から尊敬するギタリストの一人。ちなみにベースは水野正敏さんです。
'97年2月、シャクシャイン解散後、梅津和時グループの一員として、アジア各国を1ヶ月間、ツアー。これはインドネシアの首都、ジャカルタのコンサートホール前でのスナップ。左から新井田さん、立花さん(B)、梅津さん、太田君(Vl)、僕。この後、地元のラジオに生出演した僕は、DJの流暢な英語にまるでついて行けず、「マイク・スターン」の事を、ずっと「マイク・スタンド」と聞き違えていて、チンプンカンプンな会話を繰り広げた。前年ニューヨークでマイクと共に加藤真一君(B)のレコーディングに参加した話を、DJの方は聴きたかったみたいなのにぃー。グスン、、、。
ミャンマーの首都、ヤンゴンでのライブショット。メンバー全員、ミャンマーの民族衣裳を着ております。下は布を一枚巻いただけの、いわゆるスカートみたいなモノでした。服装でプレイが変わる事を知った一日でした。アコギのスタンドが無くて、ギターケースを堂々とステージに出している所がナイス!
ミャンマーでのライブ終了後、メンバー一同とハイ、パチリ。太田君はフィリピンからの参加なのでここには居ませんでした。
ラオス・ビエンチャンにて。ラオス大使公邸に夕食に招かれた時の一コマ。夕食が出来るまでガーデンでくつろぐ僕と新井田さん。実は目の前には、雄大なるメコン川が横たわり、正にそこに今、夕日が沈まんとしているトコロだったのだ!その夕陽があまりに素晴らしすぎて、僕らは翌日もメンバー全員で押しかけて、「東洋一のこの夕陽」(大使談)を見てしまった。(
単に夕食、たかりに来た、とのウワサも有り)
バリ・デンパサールの会場近くで、もの思いにふけながらギターをつま弾く3吉。
と思ったら、エッチラ・ホッチラ、、。
いやー、やっぱ野外で弾くギターは最高だね~!(あのぉ、、線つながってないし、アンプもないんで音、聴こえないんですけど・・・。)
もひとつオマケに、イェーッ!いまもって、何でこんな写真撮ったのか分かんないんだけど、1ヶ月のアジアツアーでかなりハイになってた事は間違いないっす。後ろに見えるのが何と、当日のコンサート会場!素敵でしょー!?
バリ・デンパサールで1ヶ月間に渡るアジア・ツアーも無事終了!メンバー・スタッフと共に記念写真。左端にはこのツアーのプロデューサーでもあり現在も「エイジアン・ファンタジー・オーケストラ」の総合プロデューサーとして活躍中の、ドン・本村氏の姿が見えまする。
'99年秋、青山スパイラルホールで行なわれた「ASIAN FANTASY'99」。いつものオーケストラと違い、日替わりのメニューで様々なアジアの音楽絵巻を繰り広げた5日間。僕は最終日「AUTUMN FESTA」と称したライブに参加。写真は、その時のリーダー、フィリピンのジョイ・アラヤ氏とライブ終了直後、楽屋にて感激の2ショット。
'00年4月、日比谷野音にて行なわれた「ブルースに乾杯 Vo.1」に出演した折の一コマ。ここはバックステージ、高円寺のライブハウス「JIROKICHI」のスタッフが全員かり出されて働いておりました。無事ライブも終了、スタッフみんなと「イェーイ、お疲れさーん!」
何やらワオさん(JIROKICHIの名エンジニア)にギター談義している3吉君。ちなみにこの日僕が一緒にやったメンバーは、塩次伸二(G)、ジョニー吉長(Dr)、ポール・ジャクソン(B)、ミッキー吉野(Kb)、甲本ヒロト(Vo)、内藤やす子(Vo)etc(敬称略)。なんかメチャクチャやーん!!何やったか全然覚えてません、、、。
'00年7月、JIROKICHIスタッフのみんなと一緒に久米島へ3泊4日のバカンス。昼は海で遊び、夜はバーベキューやって泡盛を頂く・・・夢のような日々でした。写真は朝(日中は37℃くらいあってメチャ暑い久米島も朝の一時だけは海から吹く風が涼しくてキモチいいのだ。)二日酔いなんだけど妙にスガスガしい気分で、JIROKICHIの女性スタッフ、ミヤちゃん&ユキちゃんと談笑しているトコ。左にいるシーサーがカワイイっす。
小舟に乗り、小さな島(小浜?)に渡り、みんなで海に潜り、きれいな貝殻を競って拾う。疲れたら浜にあがり、よく冷えたオリオンビールをぐびり。真ん中にはJIROKICHIのオーナー&ディジュリドゥーの奏者の荒井さん(ABO)の姿が見えます。
久米島の夏祭りに急きょ参加する事になり、特設ステージで荒井さん、正木五郎(Dr)ちゃんとトリオで演奏。僕のギターはJIROKICHIスタッフのタカ君に借りたゾウさんギター。アンプはTESCOだったかナ?
海を眺めながら、持参のCDウォークマンを聴く。恥ずかしながら「パイナップル・アイランド」も聴いたのだが、風景に仲々あってたヨ!あとはボサノバとか色々聴いてました。この島に住む事を一瞬本当に考えはじめた頃。
3日目の朝、近くの漁港に遊びに行く。な、なんとこの後、僕の足下にあるマグロ5~6尾「全部、もってけー」との漁師さんの一言でみんなタダでもらっちゃったのだ!!タカ君がヒーヒー言いながらさばいてくれて、刺身や焼き魚でみんな頂きました。旨かったー!!
地元のお祭りのフィナーレ。エイサー隊と共に。後ろの方に、なんか変なおじさんが踊ってますね。
'01年、毎年恒例となった、ワタクシのバースディライブin JIROKICHI。これは、その打ち上げも佳境に入った午前3時頃。完全に酔っぱらった僕と小野塚晃(Kb)君に挟まれてちょっと辛そうなのはベースの須藤満君。(その証拠に二人はグラス持ってる)ちなみに向こう側にいるのは楠瀬誠志郎(Vo)氏のマネージャー、キムキム氏。
「すんませーん、お先に帰りまーす(須藤)」席を立った須藤選手を小野塚選手がしがみついて止める、の図。僕も立って止めようとしてるみたいだけど、なんか3人でしばらくこうやって踊って(?)いたそうです(笑)。この後、ストちゃんが、また座らされたのはゆーまでもありません。
※掲載の写真等に関しましては、無断転載お断り申し上げます